家鴨DIARY

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腐女子化する世界―東池袋のオタク女子たち


「オタク論」とか生意気にも語っちゃいましたが、この頃
腐女子」が注目されているみたいですね。
筆者は杉浦由美子さん。
この本の前に「オタク女子研究 腐女子思想大系」を
出しているので、書店で見た方も多いのではないでしょうか。


そして、今日も長く語っています。
ジェンダー系が嫌いな方はスルーしてね☆
「オタク女」は男オタと同じく「語りたがり」なのです。



■オタク論を語るなら作品名間違いはNG
しかし、当事者の腐女子の皆さんにはかなり不評のようです。
なんでも「オタク女子研修」の時には、作品名の漢字を間違えた
らしいですね。それでは、自称「腐女子」を名乗るには杉浦さん
甘すぎます。


そのほ他にも「女性のライフスタイルの一つ」の延長戦上に
腐女子」が君臨する・・・と謳っているのですが、どうにも
「奇麗事」が多すぎるのです。
または、酒井順子の「負け犬の遠吠え」に対抗するための
1つの手段として「腐女子」を扱っているのではないか。
・・・とまあ、「売るために腐女子使いました」が見え見えで、
見事に「腐女子」達を敵に回してしまったようです。


やおいボーイズラブに何故はまる?
高校時代は「やおい」を読んでいました。尾崎南やらを。
友達が「JUNEに漫画と小説を投稿して、栗本薫竹宮恵子
鍛えてもらおう!」なんてことを言っていた。*1
今は男同士のカップルにときめくこともない。
逆にちょっと恥ずかしいような、枕を頭に被って
「わあああああ!ご・・ごめんさい!」という感じ(^^;
あれって、高校時代、女子クラスだったせいもあるかも。
たまにしか、男子を見ない。男子が女子にきらきらしたものを
感じながら眺めていたように、私達も「○○君、可愛い〜」
と話し合っていたものだ。


当時を思い出して見るに「恋愛至上主義系の少女漫画」は
自分には受け入れられなかった。「お洒落と男」のことしか
考えていないヒロイン(少なくとも私にはそう映った)は
私らには魅力的ではなかったんだ。
当時のやおいは「苦悩」しながら「戦う」というテイストが
強かったように思う。思春期のもやもやした感じには、
恋愛でただ悩む少女よりも、仲間達の中で共通した何かを
達成するために協力し、時には決裂し、友情を高めて行く
(愛情にもなる)少年達は、到達できない憧れだったのだ。


だって、現実には「女の子はにこちゃん(笑顔)じゃなきゃ」
と父に言われていたように、小さき母としての将来像を
望まれる方が多かったからだ。


その年代を超えて「やおい」(今はボーイズ・ラブかな)を
愛好できるとういのは、自分の中では恋愛漫画を愛好するのと
同じではないかと思う。
少なくとも私がそこから抜け出してしまったのは、男であれ、
女であれ「物語」よりも、自分が現実で行動したい!の
思いが強くなったからだと思う。漫画を描くのを止めてしまった
時期と重なるのも興味深い。
自分自身が演じる演劇と漫画を描いて人物に演じさせるのと
スイッチが違うのだ。これはまた別の機会に考えたい。


■「自分探し」から「自分忘れ」に
杉浦氏は「ボーイズラブ」や「ハーレクイーン」に女性が
はまるのは現実の自分を重ねなくてもいいからだと述べている。
女性雑誌「CanCam」が売上を伸ばしている背景は、明確な
ライフスタイルの提示をやめ、ただ、カタログっちくに
洋服を並べたからだという。


たしかに、あんな高い服やバッグなんか、買えるか!と
いつも叫んでしまう。子供がいて、エステに通って、
おしゃれな横文字の仕事について、旦那と外食?はあ?
そんな生活できるわけねーじゃん!と女性雑誌を見て思う。
自分がその提示モデルとあまりにも乖離していた場合、やはり
自分探しで疲れるより「自分忘れ」*2に没頭する方が楽かも
しれない。ゲームにはまっている時間に似ているかも。


マーケティングは通じない?
筆者は「もはやマーケティングは通用しない世の中」だと
述べているのだけど、だったら何で「腐女子化」すると
分かるのでしょうか。それも「マーケティング」じゃないかと。


「流行」は「作られる」ものだ。
ファッションや色の流行は「インターカラー(国際流行色委員会)」
2年前に決定する(私も色彩検定の講習を受けるまで、
このことを知らなかった)


筆者が多くの「腐女子」を敵に回したのは「マーケティング
通用しない」と言い放ちながら「新しい女性のライフスタイル」
としての「腐女子」を流行らそうとしている「あざとさ」に
気付いたからだと思う。専業主婦vs兼業主婦、独身vs既婚、
一般職vs総合職というような「対立」は、この「腐女子」という
新しいライフスタイルを取る事で、互いにいがみ合うことも
なくなる・・・と述べているが、そんなに甘いもんじゃないだろう。


実際「自分がどれだけ、その作品やキャラを愛すか」といった
ところでの「対立」は残るのではないだろうか。
だが、この「共通の趣味を持つ集まりに境界はない」と言った
考え方は「女縁(じょえん)*3」に似ているようにも思う。


■新しい繋がり方なの?
私自身は「腐女子」化という考え方は別に新しいとは思っていない。
形を変え、姿を変え、人は共通言語を欲し、そして集ってきた。
しかし、成熟していくと「格差」というものがどうしても
生まれてしまう。それが、良いか悪いかは別にして、動物として
生まれて来たからには、弱肉強食、生きるのに精一杯なのだから。

*1:株式会社マガジン・マガジンが発行していた、女性向けの男性同性愛をテーマとした漫画小説混合雑誌の名称

*2:最近の創作が楽しくない原因はここにあるのかもしれない。今は作品を作ることが「自分忘れ」にはならない。実際「自分忘れ」ばかりしてはいられない状況だ。

*3:新しい女性のネットワークのこと。上野千鶴子が最初に提唱したらしい。